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プロレスのお話を②

先日、長与千種さんが、ニュースに出てましたね( ´∀` )。

プロレス好きの人間としてはうれしいニュースでした。

男性が女性に暴行しているのを止めるために、相手にやられながらもプロとして相手に手を出さなかったとか。まさにプロ。受けの美学。

一介の麻雀店メンバーとしても常に目指すところでもあります。ただ攻めて勝つだけなら単調な大味の麻雀になってしまいますからね( ´∀` )。お客様に大いに攻めてもらって、その技を受け、耐え、良い勝負をする…。そんなことを改めて考えさせられた店長の内村です。

長与さんのニュースがありましたので、しばらくやってなかったプロレスの話の続きを。

はたして興味ある人はいるのだろうか(笑)。まーいいや。

前回、三沢光晴(故)がプロレスリングNOAHを立ち上げたとこまで話しましたねー。

ジャイアント馬場が1999年に亡くなり、その後1年間三沢は全日の社長兼トップ選手として頑張ってきたわけですが、翌年2000年にはその全日を退団しNOAHを旗揚げしました。

当時、全日離脱会見では三沢はこのような趣旨の事を語っています。

「馬場さんが亡くなり、1年間社長としてやっていたが、自分がやりたいプロレスと違う。このままでは、馬場さんが作り上げた全日本プロレスをダメにしてしまう。」

ジャイアント馬場が作り上げたプロレスは、対戦選手の技を受け、その対戦相手の技の良さを観客に見せ、さらに自分は受け身の美しさと、敢えて技を受ける忍耐強さを見せるものでした。勝敗というよりもリングに上がった者同士が信頼関係のもと、試合をアーティスティックにすることが目的であるように感じました。「耐える魅せる美学」と言えます。

しかし、当時の三沢は絶対的王者として君臨しており、「耐える魅せる」に加えてさらに「強さ」をもっと前に押し出したプロレス興行をやりたかったのではないでしょうか。

その想いに田上、小橋、秋山らが20名以上の選手が賛同しプロレスリングNOAHが旗揚げされます。

(※また、馬場夫人との不仲や、全日の選手への待遇があまり良くなかったと言われていたことも一応付け加えておきます。)

このNOAHの旗揚げの際に、三沢の高校(足利工大付属)の後輩で全日四天王のひとり川田がいなかったのには驚きました。川田は全日に残り馬場イズムを継承することを選んだのです。

川田は、KYなところが試合観ててもあるからなー(笑)。

プロレスリングNOAHは、まさにギリシャ神話のノアの箱舟。大勢のプロレスファンの心をつかみました。

旗揚げ当初は、三沢は絶対王者として君臨し、その傍ら社長業も行っていました。

暫くすると、もちろん三沢を中心ではありましたが、小橋建太、秋山準、力皇猛、丸藤正道など新たなエース候補がどんどん頭角を現し始め、中でも小橋建太の活躍はすさまじいものでした。

三沢 vs 小橋

小橋 vs 秋山

小橋 vs 佐々木健介

など、毎年のように年間ベストバウトに選ばれるほどの素晴らしい試合を見せてくれました。

その中でも、

小橋 vs 佐々木健介

の試合は今見ても心が熱くなるほどの試合です。

実は私もう100回以上見ているかもしれない……。

辛いことがあった時、悲しいことがあった時、嬉しいことがあった時、何もない時

ふと気づくとこの試合を観ています。

この試合、プロレスにあんまり興味ない人に勧めるときにも、「まずはこれから」と見てもらっています。何か感じてもらえるはず。

プロレス団体の歴史や選手の特徴などいろいろ話すと3日ぐらいの時間が必要なので、とりあえず見てもらう(笑)。

そして、胸が熱くなったところを、プロレスの道へ少しずつ入ってもらう

という魂胆です( ´∀` )

この小橋vs健介もそうなのですが、

プロレスリングNOAHが旗揚げされて以降、今まで実現できなかった夢のカードがいくつも組まれました。

三沢vs蝶野 三沢組vs武藤組 三沢組vs橋本組 三沢組vs小川直也組 三沢組vs永田組

三沢組vs藤波組 小橋vs永田 小橋vs鈴木みのる 小橋vs蝶野  などなど

私が20年近くプロレスを見てきて、決して交わることのないであろうと思っていた他団体の選手が、NOAHの三沢(小橋)と団体または選手個人の威信をかけて参戦表明したのです。

三沢と武藤 初遭遇

なぜ威信をかけてかって?

それは、各団体のエース級の人たちは自分の団体では基本的に1番強くて、ファンからも「こいつが1番強い」と認められている。いわば、その団体で地道に何十年もかけて地位を築いた選手たちです。

しかし、NOAHに乗り込んでいって負けたり無様な試合をしようものなら、地道に築いた地位が一瞬にして無くなってしまうと言っても過言ではないのです。

「なんだ、やっぱり三沢には勝てないのか」と。

「結局、長州のラリアットは返せても、小橋のラリアットは返せないのか」と。

そのリスクを冒してまで各団体のエース級の選手たちは三沢(小橋)と闘いたかったのです。

プロレス界全体の絶対的エース三沢光晴という選手は、それだけ他団体のエースと呼ばれる選手たちをも惹きつける絶対的な強さとカリスマ性を持っていたということなのでしょう。

「猪木・馬場」が「王・長嶋」だとするなら

「三沢・小橋」が「イチロー・松井」だということです。

※かなり、個人的な三沢光晴への思いが入っているので、新日ほか他団体のファンの皆さんには申し訳ない(笑)。そこは許して。

③につづく。………。

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